夏のあいだ、冷蔵庫には常に麦茶のポットが入っていた。沸かして、冷まして、注いで、空になったら洗う。それを当たり前だと思っていたのだが、ある年の七月に一度切らして、そのまま作らない日が三日続いた。困らなかったので、そのひと夏は作らずに過ごしてみることにした。結論から書くと、半分はそのまま定着し、半分は元に戻した。
やめてみて、実際に減った手間
- やかんを火にかけて、沸いたら火を止めに戻るという往復
- 冷めるまでの一時間ほど、キッチンに物が置きっぱなしになる状態
- ポットを洗って乾かす工程。とくに注ぎ口の細い部分
- 冷蔵庫のポットの場所を空けておくこと
いちばん大きかったのは三つ目だった。ポットは毎回きちんと洗うものなので、洗い物の点数が確実に一つ増える。しかも形が洗いにくい。これが無くなっただけで、夜のシンクがずいぶん軽くなった。
代わりに増えた手間もある
良いことばかりではなかった。
水の買い置きの場所が要る
常温の水にするということは、箱で買うということだった。ポットが冷蔵庫から消えた代わりに、床に箱が置かれることになる。冷蔵庫の一段は空いたが、部屋の面積は減った。これは差し引きでどちらが得とも言いにくい。
空のボトルが出る
毎日一本か二本、容器が出る。まとめておく場所を決めるまでは、シンクの脇に積み上がっていた。今は玄関の近くに袋を吊るして、そこへ直行させている。決めるまでは地味に散らかった。
冷たいものが飲みたい日に困る
これが最大の誤算だった。常温でいいと思っていたのに、本当に暑い日は冷たいものが飲みたくなる。最初はそのつど氷を入れていたが、製氷皿の補充がまた手間で、結局これが元に戻す理由になった。
最終的に落ち着いた形
全部をどちらかに寄せるのをやめて、こういう分け方にした。
- 普段の水分は常温の水。箱で買って、一本ずつ出して飲む
- 冷たいものが欲しい日のために、小さめのポット一つだけ冷蔵庫に置く
- そのポットに入れるのは水。麦茶は作らない
- 来客があるときだけ、麦茶のパックを使って作る
ポットを一つに減らしただけで、洗い物も置き場所もかなり楽になった。麦茶を完全にやめたのではなく、毎日作るのをやめたということになる。
やってみて分かったこと
この件で学んだのは、やめる判断は一度に全部やらないほうがいい、ということだった。最初に麦茶を完全にやめたとき、暑い日に飲むものが無くて不便だったので、危うく全部元に戻すところだった。途中で「半分だけやめる」に切り替えたから続いている。
同じことは他の家事でも起きていて、全部やめるか全部続けるかの二択にすると、たいてい元に戻る。作り置きをやめたときも似た経過をたどったので、詳しくは作り置きをやめた5つの理由のほうに書いた。
よくある疑問
水を箱で買うと費用が上がるのでは
上がる。麦茶のパックのほうが単価は安い。ただ、やかんを火にかける手間と洗い物が消えるぶんをどう見るかという話で、そこは家ごとに答えが違うと思う。自分は手間のほうを取った。
水道水ではいけないのか
それでいい家も多いと思う。自分の場合、常温のまま置いておく形にしたかったので、開けてすぐ飲めるボトルのほうが都合が良かった。浄水を入れたボトルを常温で置いておくのは、夏場は気が進まなかったという理由もある。
ポットを完全に無くさなかったのはなぜか
冷たいものが要る日が、思っていたより多かったからだ。ゼロにするより一つ残すほうが、結果的に長く続いている。買い置きをどこまで持つかという話とも重なるので、その考え方は日用品の買い置きをどこまで持つかにも書いた。
まとめ
毎日の麦茶づくりをやめたら、洗い物が一点減って夜のシンクが軽くなった。ただし置き場所と空容器という別の手間が生まれたし、暑い日は冷たいものが欲しくなる。全部やめるのではなく、ポットを一つだけ残して麦茶を作らない形にしたところで落ち着いた。やめる判断は半分から始めたほうが、元に戻りにくいと思う。

